◯二十五番(伊藤勝人君) 順次お尋ねをいたします。
 一九九〇年代の後半からグローバルスタンダードという言葉がもてはやされました。しかしながら、その中身を見てみますと、アメリカだけで行われている制度をグローバルスタンダードと呼んでいたように思います。例えば、競争第一主義、福祉削減というのは、アメリカでは取り入れられていますが、他の国では必ずしも取り入れられているものではありません。世界経済フォーラムの国際競争力ランキングの上位に来ているフィンランドやスウェーデンのように、福祉に力を入れながら競争力を高めている国もあります。
 アメリカで取り入れられている制度がそのままグローバルスタンダードというわけではないのです。グローバルスタンダードには、信じるべきグローバルスタンダードと信じるべきでないグローバルスタンダードとがあります。信じるべきグローバルスタンダードとは教育です。子供の教育には、世界じゅうの国が力を入れています。学力向上こそが真のグローバルスタンダードと呼べるものだと思っています。ところが、日本では、ゆとり教育の導入によってグローバルスタンダードから大きく離れてしまいました。競争第一主義や成果主義などは導入したのに、信じるべきグローバルスタンダードである学力向上はおろそかにしてきました。
 ここ近年、立て続けに日本の子供たちの深刻な学力低下の現状が報告されました。まず、二〇〇三年度におけるOECDの十五歳生徒の学習到達度調査では、二〇〇〇年調査で一位であった数学的リテラシーが六位に転落、科学的リテラシーは二位のままでしたが、読解力では八位から十四位まで順位を落とし、下げ幅は参加国中最大でありました。
 また、国際数学・理科教育動向調査の二〇〇三年度版では、前回四位であった中学二年の理科が六位、数学は五位のままですが、前回調査に引き続き、数学、理科もシンガポール、韓国、台湾、香港に負けています。OECDの数学リテラシーの調査では韓国と香港に抜かれてしまいました。シンガポールと台湾は参加していません。両調査とも中国は参加していませんが、京都大学西村和雄教授と慶應義塾大学戸瀬信之教授の調査データでは、一九九九年当時の大学生の数学力調査では中国に大きく負けていました。恐らく数学、理科ともに、北朝鮮を除けば、東アジアの最低レベルに転落しています。
 英語力に関しても、ここ数年TOEFLの平均点は、北朝鮮と並んで東アジア最低レベルであることが明らかになってきています。日本の子供が当面の、また今後のライバルとなる東アジアのすべての国に負けているだけでなく、この問題は現在進行形の問題でもあります。PISAでも二〇〇〇年から二〇〇三年の間に顕著な順位の低下がありましたが、TIMSS調査では、中学二年生の数学力は、一九八一年以降、九五年、九九年、二〇〇三年と、調査のたびに順位を落としています。
 さらに申し上げるならば、TIMSSの、例えば中学二年生の数学の調査では、台湾が横ばいであることを除けば、シンガポール、韓国、香港は平均点を上げています。それなのに、日本は九点も点数を下げ、統計的な誤差とは言えない落ちざまであります。
 明らかにされている学力の低下は、二〇〇二年のゆとり教育施行以前にも二度にわたって学習指導要領の内容削減が行われてはいますが、これらの調査に影響を与えているのは、一九八九年改訂、九二年施行の第二回目のカリキュラム削減であると考える教育関係者は多いのです。つまり、二〇〇二年のゆとり教育を撤回するだけではまだ足らず、少なくとも九二年以前に戻さなければ、学力の低下に歯どめがかからないと思っています。
 逆に言えば、二〇〇二年のゆとり教育を受けた子供たちがこれらの調査を受けるころには、さらなる学力の低下が予想され、アジアではびりどころではなくなるでしょう。そして、現在問題になっているニートなどは、まだまだ学力が大丈夫と思われていた九五年調査の中学二年生に相当する世代であります。そのとき既に、中学二年生の二八%は学校の外で、塾を含めて勉強を全くしないことが明らかになっていました。この三〇%近い努力した経験のない子供が社会に出てニートやフリーター、簡単に離職するなどの問題を起こしていることも考えられます。九九年調査ではそれが四一%になっています。彼らが社会に出るのは約三年先の話であり、今回の調査対象者が社会に出るのは七ないし十年後の話です。
 さらにゆとり教育が続けば、日本の若年労働力の質の低下はさらに続けられていくことになります。日本も、クリントン前米国大統領が提唱したように、小学校や中学校の卒業試験を導入するような大胆な教育改革を行わない限り、国は沈み続けることになりかねません。このままゆとり教育が続けば、学力低下がますます進むのではないかと危惧をしております。そこで、ゆとり教育と学力の低下についての御所見をお伺いいたします。
 最近の教育論では、金銭的なインセンティブを高めてもっと差をつければ学力が高まるという考え方が出てきています。給料にもっと差をつけて、勉強した人ほど得をする社会にすれば子供がもっと勉強するようになるという考え方です。しかし、その考え方は誤りだと思うがゆえに、なぜならば、社会に出てから所得においてほとんど差がつかなかった時代の方が子供たちがよく勉強していたからであります。有名大学を出ても、その他の大学を出ても、一たん社会に出てしまえば大した差はつかないのに、それでも子供たちは有名大学を目指して一生懸命に勉強をしていました。もちろん、大学名によって入社できる会社に差があったことは事実ですが、一たん入社してしまえば給料にほとんど差はなかった。どの大学を出ても待遇に大した差は出ていないのに、子供たちは一生懸命勉強をしていたのであります。
 最近は、成果によって給料に大きな差をつける会社がふえてきました。勉強しなければ、あるいは努力して成果を上げなければお金が稼げない可能性は高まっています。しかし、子供たちは昔より勉強しなくなってきています。一九八〇年代までは、社会に出てお金持ちになったとしてもそれほどメリットはなかった。それは、所得税の最高税率が七五%で、地方税の最高税率が一八%でした。どんなに収入がふえても税金を取られるばかりであったのであります。つまり、以前の日本は、勉強しても金銭的に得をするような国ではありませんでした。にもかかわらず、子供たちがあれほど競争し学歴を求めたということをきちんと考えていかなければいけないと思います。
 結論は、日本の子供たちはお金を目的にして勉強していたわけではなく、子供の時期に勉強ができる人は偉い人というような価値観を上手にすり込まれていました。よって、みんなが勉強をしたのではないか。要するに、社会的尊敬の方がお金よりも価値があるという共通認識が社会にありました。それを親たちが教えてきたから、お金が得られなくても子供たちは一生懸命勉強したわけであります。
 したがって、お金を目の前にぶら下げれば子供たちがもっと勉強するようになるという考え方は間違っていると思います。私たち大人が子供に教えなければいけないのは価値観です。国のことを思い、社会に役立つ人間になって周りの人たちから尊敬されることが一番価値のあることであり、そのためには一生懸命に勉強しなければいけないということを教えるべきだと思います。それが学力向上の出発点ではないのかとも、また思います。
 そこで、物やお金よりも社会的尊敬を得ることに価値があることを教えることが大切であると思いますが、どのようにお考えになっておられるのか、教育長にお伺いをいたします。
 歴史上、植民地というのは他国の言葉を押しつけられてきました。イギリスの植民地は英語を押しつけ、フランスの植民地はフランス語を押しつけられてきました。母国語を維持できるかどうかというのは、その国の国力と大きな関係があります。敗戦後、日本は、アメリカに対して無条件降伏をしたにもかかわらず、英語を押しつけられずに済みました。公用語が日本語と英語の二本立てになることもなく、日本語一本でやることを保ってきました。それなのに、今になってこれほど英語にすり寄るというのは不思議な気がします。もっと母国語に誇りを持つべきだと思います。
 日本では、日本語で大学教育、大学院教育が行われています。日本人にとっては当たり前のことに思いますが、世界的に見ると、母国語で高等教育を行っている国はそれほど多くありません。中国の大学教科書は中国語と英語が半々です。韓国でもつい最近まで大学の教科書は英語で書かれていました。日本のように母国語で高等教育ができる国というのは、本来誇れることであります。にもかかわらず、英語ができないとだめだと信じ込んでいるのは、母国語の誇りを捨てているようなものであります。
 今、小学校では、算数や数学の問題の意味がわからないという子供がかなりいるといいます。問題文の意味すら理解できないほどの国語力しかない子供がいます。このまま国語力の低下を放置し続ければ、本を読む人間は激減することになります。新聞すら読めない国民がふえてしまう。これは社会の活力を低下させます。
 小さいころからの英語教育が重視され始めていますが、英語教育よりも、まず日本語教育をしっかりやり直すべきだと私は思います。人間は、ある一定レベル以上の高度な思考は自国語でなければできないそうであります。物すごく小さなころからバイリンガルで育った人間以外は、どんなに外国語が上手でも、高度な思考は自国語で行っていると言われています。したがって、英語教育を拡大する前に日本語教育を徹底しないと、高度な思考ができる子供はおろか、そういう日本人が減ってしまいます。
 そもそも日常会話がすらすらできる、そういうレベルの英語力ならば、それほどの価値はありません。言うまでもありませんが、アメリカに留学すれば、向こうには英語のできる人ばかりですから、英語がどれほどできても評価などされません。政治、経済、学問について対等に議論できる人やきちんとした論文を書ける人の方が評価されます。英会話力を鍛える前に、まず思考力を鍛えるべきであります。それには、思考のベースとなる日本語をしっかりと勉強させることが必要であります。
 このように、日本語教育、すなわち国語を大切にする教育が重要と考えますが、教育長の御所見をお伺いいたします。
 次に、医師の不足対策についてお尋ねをいたします。
 最近、病院における医師の不足が深刻化しているという話をしばしば耳にいたします。医師不足によって困っている状況は病院ごとに異なっており、一様ではありませんが、大きく分けて二つの状況があると考えます。
 一つは、医師が都市部の大規模病院や大学病院に集中して、地方の医療機関などが医師を集めようとしても人材が見つからないという状況です。こうした医師の地域偏在は、地域の住民に安全で適切な医療を提供していく上で大きな支障を生ずるものであり、県民の安心な暮らしを脅かす喫緊の問題であります。
 もう一つは、特定の診療科で不足しているという状況であります。例えば、小児科医に関する新聞記事ですが、小児科医は休日や夜間の呼び出しが多く、仕事の負担が心身ともに極めて多いために、若手の小児科医の約半数が一度は小児科医をやめたいと思った経験を持つと、厚生労働省の調査結果が紹介されておりました。また、産婦人科医については、深夜の出産といった夜間の勤務や非常に高額の医療訴訟が起こされるリスクが高いこと等から、なり手が不足しているといった話があります。麻酔科医については全国的にかなり足りない状況であると聞いております。
 このような医師不足の状況に拍車をかけているのが、昨年度から義務づけられました医師の臨床研修制度であります。この制度は、国家資格を取得いたしました医師が、一年目に内科や外科並びに麻酔科を含む救急部門といった基本的な科目の研修を受けた上で、二年目に小児科や産婦人科、精神科、そして地域保健、地域医療という必須科目の研修を受ける制度であります。研修医が二年間のうちにより多くの診療科を回って臨床経験を積むことにより、幅広い診療能力と地域医療を担う姿勢を身につけることが期待されるものであります。
 しかしながら、この制度は、研修医のための十分な施設と指導スタッフを持っていることが認められる病院であれば、大学病院に限らず研修ができることとなったことから、厚生労働省から指定を受けた魅力のある都市部の大病院を選ぶ研修医がふえ、大学病院の研修医不足という状況が生じてきたのであります。厚生労働省の資料によりますと、新しい研修制度が始まる前の平成十五年度には、医師免許を取得した約八千人のうち七三%の研修医が大学病院で特定の科目について研修を受けておりましたが、制度が始まった昨年度には、大学病院で研修を受ける研修医は約五六%に減少いたしました。そしてさらに、今年度は約四九%まで落ち込む状況になっているとのことであります。
 研修医というのは、大学病院にとっては第一線の働き手であり、働き手が減って困った大学病院が地方の医療機関へ派遣していた中堅の医師を次々に引き揚げていったことが、現在の医師不足をさらに深刻な状況に追いやったというものであります。加えて病院の医師不足を招いたさらなる要因として、勤務医が開業医へと移行するケースが多くなっていることも指摘されています。
 特に子供の疾患などでは、大病院志向や専門医志向が強く、病院勤務医に患者が集中する傾向があります。そこにインフォームド・コンセントの普及によって、治療方針やその危機性や治癒の可能性などについて十分に説明し同意を得ることが求められております。医師が患者一人一人を診療する時間が長くなるなど、医師の負担が増加している実態もあります。
 医療機能の分化と連携がこれからの医療の流れと言われる中で、依然として大病院に患者が集中し、勤務医の業務量が増加する一方で、医療過誤に対する患者の意識はより先鋭になり、期待する結果が出なかった場合には係争に陥るといったことが珍しくなくなっている状況にあります。国は、従来の医師の需給は将来的には過剰になるとの見通しを示し、大学医学部の入学定員をピーク時であった昭和五十九年度から削減した後、ほぼ横ばいの状況となっております。
 私は、この国の見通しに甘さがあったのではないかと考えます。医師不足については、長期的には、医療制度全体として、例えば、医師の養成数や医師の不足している診療科の診療報酬の見通しなど、国政レベルで総合的に検討すべきものであると考えます。実際、国においては、現在の深刻な状況を受けとめて、ことしの二月、「医師の需給に関する検討会」を設置し、医師確保対策についてさまざまな観点から検討を行っており、八月には、地域医療に関する関係省庁である厚生労働省、総務省、文部科学省、防衛庁の四省庁が医師確保総合対策を公表し、今後、平成十八年度の医療制度改革に向け、施策の具体化を図っていくと聞いております。
 そこでお伺いをいたします。
 まず、このように全国的に医師が不足している状況であり、本県においても地方の病院を初めとして深刻な医師不足であるといった声を聞いておりますが、県内全体の状況はどのようになっているか、お伺いをいたします。
 また、そのような状況下において、国の動きを見据えた上で、県としては医師の確保についてどのような検討をしておられるのか、あわせてお尋ねをいたしまして、質問を終わります。(拍手)


◯教育長(伊藤敏雄君) 教育に関しまして三点からの御質問をいただきました。お答えを申し上げます。
 最初に、ゆとり教育と学力低下問題についての御質問でございます。
 ゆとり教育のねらいといたしておりますのは、子供たちが時間と心のゆとりの中で、知識、技能はもちろんのこと、思考力や判断力、表現力を身につけ、主体的に考え行動できるようにすることであると認識をいたしておりまして、教育の一つの側面としては、私は必要なことと思っております。
 一方、学力についてでありますが、議員お示しの国際的な学力調査結果で明らかになりました読解力低下等の問題につきましては、学校教育の基軸にもかかわる大きな課題と認識をいたしております。現在、国語や算数、数学などの基礎学力やすべての教科を学ぶ基盤となります読解力の向上を図るための指導方法の工夫、改善に努めているところでございます。
 ゆとり教育と学力の低下問題は、私どもに課せられた大変難しい課題でもありますが、学習指導要領の見直しなど、現在、国においてもさまざまな議論がされております。教育委員会といたしましては、その審議を十分注視しつつも、まずは教員の指導力向上を初め、少人数授業あるいは習熟度別授業などの充実に努めながら、子供たちに確かな学力を身につけさせる教育を推進してまいりたいと、かように考えております。
 次に、社会的尊敬を得ることの価値についての御質問をいただきました。
 人間は、子供のころから身近な信頼できる人に教えられたり認められたりする経験を積み重ねることで、人として社会の中で生きていくための価値を学ぶものと思っております。学校生活におきましても、子供たちは学習活動の中で出会うさまざまな人生の先達に尊敬の念を寄せたり、自分も将来こうありたいという気持ちを抱いたりすることで、人の役に立ち、人から尊敬されることが物や金銭以上にとうといものであることに気づいていくものと考えております。
 こうしたことから、道徳教育を初め、教科や総合的な学習の時間におきまして、郷土の偉人を教材として取り上げたり、努力してその道に秀でた人や長年ひたむきに社会に貢献している人を講師に招いたりして生き方を学ぶことで、充実した人生を送る意欲や態度を育てているところでございます。さらに、さまざまなボランティア活動を通しまして、人や社会に役立つ喜びなどを実感させる教育も進めているところでございます。
 社会的尊敬という価値観は、なかなか難しい面もございますが、学校教育も含め、社会的にも信頼され、さらには社会に貢献するような人を育てる教育の推進に努めてまいりたいと考えております。
 三点目の、国語教育についてでありますが、子供たちが日常生活に必要な話す、聞く、書く、読むなどすべての学習の基盤となる国語力をきちんと身につけることは、学校教育における基礎基本であると考えております。こうしたことから、教育委員会といたしましては、平成十五年度から国語力向上モデル事業として、考える力や表現する力などの確実な定着や、個に応じた指導方法の工夫、読書活動の充実などを目指した取り組みを推進しているところであります。この成果を県内の小中学校に広めるなど、国語教育の一層の充実を図ってまいりたいと考えております。
 一方、外国語教育についてでありますが、今日、国際化が進展をし、子供たちが将来にわたって社会で活躍していくためには、外国語の習得も不可欠なことであり、各年齢段階に応じての教育方法を考慮することは必要でございますが、外国語教育も進めていく必要があると考えているところでございます。
 以上であります。


◯健康福祉部理事(五十里明君) 医療問題についての御質問のうち、まず、県内全体の医師不足の状況でございます。
 先月、現状について把握することを目的といたしまして、県内の三百五十一病院すべてに対し、医師不足に関するアンケートを行いましたところ、ほぼ二割に当たる七十もの病院から、医師不足で困っているとの御回答をいただきました。
 医師不足の状況は病院によってさまざまでございますが、例えば、救急医療体制を組めないといったもの、小児科医や産婦人科医の不足のため入院を休止している、あるいは麻酔科医不足のため手術室の運営に苦慮しているなど、深刻な状況を訴える声も寄せられたところでございます。
 次に、県としての医師確保についての検討についてでございます。
 全国的な医師不足の状況や県で実施いたしました医師不足に関するアンケート結果を踏まえまして、県内の医科系四大学の関係者にも御参加いただきまして、愛知県医療審議会医療対策部会を先月開催いたしましたところ、地域における医師の確保策についてさまざまな御意見をいただきました。
 いただきました御意見の中には、医師の絶対数が足らない、勤務医不足であるなど、県として対応することが難しいものもございましたが、その一方で、埋もれている人材を活用する、例えば、出産、育児などによって医療現場から離れている女性医師を職場に復帰しやすいようサポートしたらどうかといった御意見もいただきました。
 今後、こうした御意見をもとに、医師の確保に向け、県として実行可能な対策について積極的に関係団体とも話し合いながら検討してまいりたいと考えております。


◯知事(神田真秋君) 最近の医師不足について、私からも触れさせていただきます。
 このところ、お医者さんが足らないとよく耳にするところでございまして、私自身も県内関係市町村長さんから公立病院の医師不足についてたびたびお話を聞いたり、お訴えをお聞きする機会が多くなっております。深刻な状況にあると受けとめております。
 医師不足の要因でございますけれども、いろいろお示しをいただいたとおりでございまして、病院の勤務医の職場が大変厳しい、あるいは医師の臨床研修制度の開始、あるいは出産、育児などによって医療現場を離れる女性の医師が多くなってきていることなど、そのような要因が指摘されているところでございます。
 こうした状況を踏まえまして、国は、この八月に医師確保総合対策を公表するなど、医師不足について熱心な検討を行っていると伺っているところでございますが、本県といたしましても、先ほど理事が御説明申し上げましたとおり、医療関係者の御意見をいただきながら、今その対応策について検討のスタートを切ったところでございます。今後、国の役割、県の役割をそれぞれきちんと見きわめた上で、愛知県として対応してまいりたいと考えているところでございます。